はなしたいこと、すきなこと

何もわからないまま社会の波に飲まれたオタクが、書きたいこと、話したいことを好きなだけ書いています。

”積む”への「わかる!」と「もやもや」を考える

※この記事は、「積む」ことを否定するものではありませんが、これらに疑問を持つ人間が書いています。
 
ですので、これにネガティブな感情を持ちそうだなと思う方は、避けていただけますと幸いです!また、布教用としての購入は、今回のモヤっとには当てはまらないというスタンスです。
 
タイトルの件、これはアイドルを推してきた人生のうち、自分のバイト代でモノが買えるようになった大学生以降、どこかでずっと引っかかってきたものでした。
 
そして、これを書いて自分の中で整理しようと思っています。
書いている動機なんて本当に、個人的でちょっとしたこと。
 
自分の中で決着をつけよう…というほどの意思ではありませんが、
ある程度のスタンスを決めておく方が、この先、ずっと好きでいる上でモヤモヤしなくて済みそうだから、というだけのことです。
 
自分の日記だけにとどめておくべき、とも思いましたが、同じモヤモヤした気持ちの人が、同じ思考をたどるなら、その時に使ってもらえたら楽かも!という気持ちで公開しています。

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思い返してみると中高生の時は、お金も情報も限られていたから、そもそも買い支えるなんていう概念を持っていませんでしたし、いまのYouTubeのような、合法である程度までならタダで楽しめる…という環境でもなかったので、「聞きたいなら買う」ことに疑念を持っていませんでした。
 
そして(推測ではありますが)、今から10年ほど前は、CDの枚数は指標の一つではあったにしても、いまほどコンサートの会場やプロモーションの手厚さ、事務所からのプッシュ力を左右するものではなかったはずです。
 
だから、”買い支えなきゃ””積まなきゃ”は、考え方としてそこまでファンに共有されるものではなかった。
 
※これはまた、じっくり勉強して考えたいのですが、ジャニーズアイドル間の扱いが、これほどCDの枚数に左右されている!と信じたくなるほどに、CDの枚数で変わっている(ように見える)のは、ジャニーズが、主にインターネット上のコンテンツづくり、そこからのマネタイズにそこまで成功していない=CD依存の収益構造から脱せていないから、ではないかな…と思っています。
 
話が遠回りになりました。「積む」が一般化するなかでのモヤモヤを考えていきます。
 
 
何にモヤモヤしているのか?
 
ここではモヤモヤした気持ちは、気持ち先行のモヤモヤと、ビジネス的なモヤモヤがミックスしています。
 
それでは、お願いします(?)
(書き出してみたらめっちゃモヤモヤしてるじゃん…と気づきました)
 
 
推しへの愛情の大きさに、勝敗なんてある?
「店頭に3枚あったので、3枚全部買っちゃった!追い〇〇してきました!」というのは、発売週によくみますね。CDショップで2年半ほどバイトをしていたのですが、こういった光景は、ジャニーズを問わずアイドルにはよくあること。

「熱心なファンの方だな…」と思っていましたが、Twitterで買った同じシングルを積んでいる写真を見て、まるで張り合うかのような様子は、まるで「私の方が愛情が大きい」「推しに貢献している」マウンティングしあっているみたい。
 
愛情って、そんな勝たなきゃいけないもの?数値化して計らなきゃダメなのかな?という疑問が湧きます。そして何と戦っているんだろう。

もし積んだ枚数で愛情が計られているとして、そこにどんなリターンを期待しているのだろう…と思ってしまいます。


そして「こんなに買ったんだから」「こんなに好きなんだから」と
アイドルを縛る「権利」があるはずだ…という歪んだ気持ち(エゴ)が生まれているように感じます。
 
お金を払えば何をいってもいいってわけじゃないよね…
これが第一のモヤっと。
(「税金を納めているんだから」と市役所の窓口で怒っている人みたい)

そんな権利、どこにもなくないですか?アイドルは夢を見せてくれる幻想ですが、売り手からすれば、商品でもあります。
 
「自分の思う方向性と違ってきた」「私が望むアイドル像で無くなってきた」と思う時、それはアイドルが裏切ってきたのでなく、自分がターゲットじゃなくなった…それだけの話なはずです。
(もっと意地悪にいうなら、お金儲けする上で不要になった人たちって感じ?)
 
 
罪悪感を煽るムラ社会的な文化、こわい
書いているうちに、なんて自分が意地悪な人間か…と気づきはじめてきました。あゝ。
 
大学生になり、バイトをすれば、お金は相当自由に使えるようになります。

そのとき「買えるだけのお金はあるよね、で、あなたは各形態1枚ずつでおわらせていいの?」という話が出てきました。
そして、「買わないなんて罪深い…」という同調圧力。これは本当に恐怖です。
 
私が人生で初めてハマったアイドル・関ジャニ∞も、最初の大ブレーク(たぶん09年)前は、買い支えが必要なタイミングがあったはずですが、
その時は、中高生でその概念がなかった。そして、お金を手にした大学生ごろ(15年あたり)は、そんな買い支えがなくても十分に売れるだけの裾野の広さをもっていたので、こういう文化にがっつり触れることがなかった。
 
しかし、そんな彼らに続けざまにおこった、メンバーの脱退をはじめとする大きな変化。どこか「陰り」「凋落」といったワードがちらついていた時期もあった気がします。
 
このあと、「もう一度ドームに立ってほしい」という思いをもつファンから、自然と生まれた購買運動。正直、怖かった。

エイトも、eighterも、居心地がよくてどこかのほほんとして、そこが好きだった私にとって、”変質したムラ社会”のようなコミュニティはしんどかった。
 
裾野が広くなったからこそ、元からいたファンは、「古参アイデンティティ」を守ろうとしていたのかな、とか、あたらしくeighterになった人も「ムラ」に入る没入感を味わいたかったのかな…、と穿った見方をしてしまいました。
 
(ドのつくマスタレントであるジャニーズのファンが、何を競い合ってるんだろう?とまで思った。ここまでくると性格が悪い)
 
こういったムラ化・私的な警察のような行動は、ファン同士の一体感を生みますが、ムラに入り込めない・入りたくないオタクにとっては、罪悪感の源泉になります。結果的に、私には、ファンを続けるしんどさでしかなかった。
 
 
アイドルの喜ぶ数字って、そこじゃないんじゃない?
これは、1に近い部分があります。
 
「東京ドームに立つ夢を叶えるサポートをしたい」「紅白に出る夢を応援したい」というのはすごく共感します。だって本人たちが、雑誌でライブで会報でそう語っているから。大好きな人たちの夢は、どうか叶ってほしい。

 
たしかに、枚数がドーム公演をできるか否かに大きく影響する…とは言われていますが、それでも、「そのためにCDを積もう」は、本当にアイドルのためなのか?とモヤモヤします。
 
なぜなら、アイドル本人たちの望みは、単にドームや紅白の場に立ちたい・そこでライブをしたい…にとどまらないのでは?と思うから。

もっというなら、真意は、「ドームに立てるほどのたくさんのファンを抱えたい、紅白にでれるほど幅広い世代から愛されたい…」の方が近いのでは?と思うからです。
 
熱狂的なファン1万人が1人30枚買って到達した30万枚の実績で、5万人のドーム公演が叶っても、
そこに熱狂的な1万人と、誘われたからとりあえずきてみた4万人で埋まったとしたら、本当に彼らの夢なのかな…と疑問です。
 
それだったら30枚買うほど熱狂的ではないけれど、1枚は絶対買う!結構好き!というファンが5万キャパを埋め尽くす…こちらの方が理想なんじゃないかな…と。
(実際、超熱狂的なファンで15万くらい余裕でうまるのだろうなとは思いつつ。)
 
※ありとあらゆるファン運動(billboard集計対策のハッシュタグとか、ファン以外の人に教えてあげるぜ突撃ツイート)が苦手なのですが、その理由は、一部のファンが熱狂的になればなるほど、その特異な様子が、ファンになるポテンシャルある人を怖がらせて遠ざけてしまうから、それが広く多くの人に愛されたいというアイドルの夢と逆行するように思うから・・・・な気がしてきました。(口に出したらわかる、文字に書いたらわかるの実践じゃん。)
 
 
※ドームができればいいんです!という意見もきっとあると思います。
わかる、ドームは機構も特効もレベルが変わるもん。でっかい火柱とか水のアーチとかみたい。心踊りまくりますもんね。
(これも関係ねえよ!となったら、だいぶ「ドームに立っているアイドルのオタクである」エクスタシーの域って感じで面白い。)
 
 
 
CDって、音と映像を楽しむものではないの?ドームへの切符でしかないのか?
 
いちばん本質的な気がするモヤモヤがこちら。
CDやDVDって、「中身を楽しむもの」だから、「ドームを初め大きな会場や大規模なプロモーション、推され等への切符」として(布教用でもないのに)何枚も積むのは、その中身への冒涜なんじゃないか?というものです。
 
ちゃんと聞いている!見ている!という話はもちろんあると思いつつ、何度見たところで聞いたところで、一枚のCDで事足りてしまったはず。

特に限定版については、積んだ分=もっと広く多くの人の手に届くはずだった機会の消失だと思ってしまう。
 
期間も枚数も限られた限定版は、初動売り上げを作るべく、相当力を入れていると感じます。
(膨大な特典映像や、YouTubeに上がっていて200万回近く再生されている曲とか、ファン投票1位になる名曲が、初回にしかないのはそういうことかなと。)
 
といったとき、より広く普く聞いてもらいたい、見てもらいたい…というアイドルの思いを、「積む」という行為は、踏みにじっているようで、モヤモヤしてしまいます。
 
※今できることは、CDの購買・視聴率や配信やラジオの再生率向上くらいしかないから、こういう事態に陥っているのはもちろんわかります。
その状態自体が、あんまり健全じゃないから、どうにかいい方向に変わったらいいな。
 
※握手会のチケットとして売られ始めたときから、CDやDVDが音源・映像としての役目から逸脱するようになっても、世間が違和感を持たなくなったというのもありそうです。
 
 
無理と背伸びは、ずっとは続けられないんじゃない?
 
まんまです、売り上げは伸びないことより、落ちることの方がリスクになるんじゃないか?という仮説のもとに書いています。

事務所の心象的に「売り上げが下がった」は、「大ブレイクには至らなかった」よりもネガなんじゃないか?ってことです。
 
ドームをできていたアイドルが、ドームから遠ざかる。こうしたちょっとしたマイナスの事実が、負のスパイラルを生むと考えています。

体感的にですが、世間は上り調子のアイドルには、優しいし興味を持ってくれますが、下り調子のアイドルには、ファンが思っている以上に淡白で冷淡です。
 
一度盛りを過ぎたと思われたアイドルに、もう一度脚光が当たることは、そうそうない。

だったら、無理して一気に脚光をあびるのではなく、地道に盤石に積み上げて、高い山になってから光に当たる方が、ずっと輝けるんじゃないでしょうか。
 
ファンの裾野が広がりきる前に、ファン側が途中でくたびれてしまったら…アイドルの夢もオタクの夢も、たぶん叶いにくくなる。
そんなの、あんまりに寂しい。悲しい。そう思います。 
 
 
<ちょっと話は変わりますが>
「積み買い」に、ややネガティブな気持ちを持っているのと逆行しているようですが、CDを買う…に関してのほかのモヤっとも成仏させてください。
 
CDショップでバイトをしていた時、「〜店は〇〇を全然置いてくれない!怒(質素な売り場の写真付き)」というツイートがファンで拡散されて、
これにどうしよう?となることがよくありました。(実際に対面でご意見をいただくこともある)
 
たしかに置いてある枚数も控えめで、展開も質素になってしまうケースはあります。
ただ、それは往々にして店舗の立地・以前の販売実績からの在庫リスクという、揺るぎない理由が潜んでいることが多い。
 
例えば、ここは学生さんが通らないけど、サラリーマンの乗換駅…となればジャニーズは薄め、30代にうけるロックは手厚く…といった具合です。売れるためには、お店を残すためには、こういった方針になるのは、そりゃあそうだ〜!となりますよね。
 
それに、音源のデータと違って、CDは「在庫になってしまう」というリスクが常につきまといます。
 
盛り上げてほしい!というファンの方の思いに応えたい…と思いつつも、入荷させたら売らない限り、場所を取り続ける。
 
それは、他の売れる商品を仕入れる・陳列する場所がなくなる=本当は生み出せた売り上げが立たなくなる…という恐怖でもあります。
 
だから、どれだけの枚数を入れるかには、すごく慎重な判断が伴ってい(るようにバイトの私には見えてい)ました。
 
「今回は〜店が盛り上げているみたい!」「追い〇〇するなら〜店」だけで終わらせるのは、実は店舗にとってけっこう悩ましいことです、
 
仕入れてみて、展開をして、ネットでネガティブなことは言われなくなったはいいものの、売れなかった・在庫になった…となれば、そのアーティストは在庫(お荷物)扱いになりかねない。場合によっては、次から縮小せざるを得ない…という事態に陥ります。
 
だから、どうか「〜店は、盛り上げてくれない!」と書いたら、その店舗が売り場を変えたら、是非そこで予約するとか、お友達を連れてきて布教でもしてみてください。たぶんみんな幸せです。
 
 
あまりに長くなってきて、自分でも怖くなってきました。
(やっと気づいたんですか???怖)
 
自分の中では、かなり整理されました。
私は、枚数を増やすことだけを目的とした積み買いは、今後もしないです。
 
そして、書いてみて、次の2つの自己理解が副産物として出てきました。笑
 
①私の”商品”としてのジャニーズアイドル理解は、「広く普く売れる」ことを至上命題として課された存在であること
 …もちろん情緒の面を言えば、グループごとに異なりますよね。
  応援するため、ドキドキをプレゼントするため…とか色々いる。
 
②そしてアイドルの望みをどうにか汲み取りたい、叶えたいモンペ体質であること
 …うわぁ…。。。
 
 
書いているのは1月11日、あしたは15thシングル「週刊うまくいく曜日」のフラゲ日です。ただ、この記事は、その発売から一週間後に公開設定としています。あと、タグもつけない。
 
どこかで、誰もみてはいないと思いつつ、この中の言葉が、今がかなり大きな分岐点になるだろう、大好きな彼らの未来の向かい風になるかも?それは嫌だという意識があります。
  
とはいえ今作は、現時点で解禁されている映像と、音源を見聞きするだけでも最高なので、積まなくても、心配しなくても、たくさんの人が手にとって、すっごい幸せな気持ちになるんだろうな〜〜〜〜っておもいますけれど!!
 
とりあえず、週刊うまくいく曜日のリリース、
たのしみです(発売前の私が書いています)