はなしたいこと、すきなこと

何もわからないまま社会の波に飲まれたオタクが、書きたいこと、話したいことを好きなだけ書いています。

アイドルをきっかけとすること

※今回は、ジャニーズWEST小瀧望くんが主演をつとめた舞台「エレファント・マン」で、「アイドルが好きだからを理由にみていいの?」のと舞台鑑賞に引け目を感じていたオタクが、配信だし見てみよう!と思い立った結果、他の舞台をみてみたい!にまで至り、「アイドルから世界が広がるのってたのしい!」と実感している、と言う話をただダラッダラ書いているものになります。
 
=====================
「人生初」はいくらでも作れるけれど、
本当に印象に残る「人生初」って実はそんなにないかもしれない。
 
人生で初めて、舞台を見た。『エレファント・マン』を、配信で。
配信なので、正確に観劇と呼んでいいのかわからないですが、初めての舞台鑑賞。
 
正確には、プロの舞台を初めて見ました。
 
これまで見たことがある演劇といえば、高校時代の演劇部の友達の公演のみ。
たしかアガサクリスティ原作で、友達が友達に見えなくて、全て役の時間を生きている感じで、本当にびびりまくって、驚いて、感激して、演劇って面白いんだ…!!!ととても感動したことは覚えている。
 
ただ、プロの舞台をなぜか見に行けなかった。
オタクをしていれば、自担Gの舞台の抽選に申し込むチャンスは、かなりある。
それでも、いつも舞台は申し込めなかった。
 
どうしてなのか?を改めて考えると、
①舞台が、その喋り方に「役をやっている自分」を演じている感じを覚えて苦手だった
喋っているのに、そこにあるのは自意識だけ・・・のように感じてしまう瞬間があって、
そこに肥大化した自意識!自己顕示欲求!みたいなものを勝手に感じて嫌がっていた。(何を見たんだろう?)
 
②舞台を好きな人のコミュニティが怖かった
舞台の系譜や物語の背景といったところまで造詣が深すぎて、恐れおののいたから。
というとマイルドですが、ドラマメインで活躍する女優さんへの「ミュージカル初挑戦で〜の0番にたつなんて・・・」騒動や、
アイドルが舞台に出た時の品定めするような言葉をみて、「にわかの入る余地なんてない厳しいコミュニティなんだ」と感じたから。
 
③アイドルと舞台の距離を見誤った
ことジャニーズのアイドルは、初の演技経験がそもそも舞台というケースが多く、そのルーツを舞台にもつことが多いにも関わらず、それを忘れておりました。
舞台を好きな人からすれば、アイドルはそこに踏み入る部外者…と理解されていると誤解。もったいない。
それゆえ、そのファンとして観劇することが、どこか舞台自体を愛している方に、疎まれてしまうのでは?と言う不安に勝手に苛まれていた。
 
 
これゆえに、私と舞台の距離は遠かった。
本当に好きな人が、舞台を見たほうがいいんじゃないか?
自分のように「好きなアイドルが出ていて興味を持ったから」と言うのは、あまりに不純な動機なんじゃないか?と不安がって、演劇との間に距離を取っていたんだと思う。
 
 
そういう臆病ビビリマンにとって、最高のチャンスが配信。
舞台に上記のような不安というか、後ろめたさを感じているオタクには、
正直配信でも、「見ていいのかな?」という思いがありました。
 
ただ、
ここが見るなら一番いいタイミング(自分が席を奪う感覚がない)
ここで見なかったら、一生ないチャンスかもしれない(配信なんて今後ないかもしれない)
 
この思いから、チケット発売最終日に買って、
部屋を暗くして、大きなスクリーンで、息を詰めて、鑑賞。
 
 
作品の予習が少なかったゆえの理解不足もかなりあると反省しつつ、
普通を求めて、普通を手に入れているように感じている(ようにみえた)けど、
実質まわりの慰みの触媒のようになっていたメリックって本当に幸せだったのかな?とか、
 
メリックを自分の鏡のようだと言いながら、結局は自分の見たいようにしか物事を見ようとしない人の集まりは、
どこの誰とも繋がらない「孤」の集まりでしかないんじゃないか?…とか、考えてしまった。
 
そして、気づけば、久しぶりに自分の聖書を引っ張り出してきて、詩篇を読み直していて、
演劇から、こうやって気になったものを調べたり、読んだりする時間が生まれていた。
 
 
私の舞台観劇デビューは、こうして終わった。
舞台を見てこなかったこと、忌避してきたことが、いかに勿体無いことだったかを実感しながら。
 
ホクホクした気持ちに勿体無かったな…の後悔を添えて、「初めて演劇を見たよ!」と演劇経験者の友達に、気づくと連絡を取っていた。
すると、すぐに、これから見れる様々な舞台やミュージカルのあらすじ・みどころ・推しポイントが返ってくる。
 
舞台を愛する人たちは、舞台を好きになりそうな人に優しい、という衝撃。
本当に勿体無いことをしたな…という気持ちと、ここで気づけてよかったという気持ちで、見てみたい舞台を伝えた。
 
話はトントン拍子ですすみ、春になったらその舞台を見にいけることになった。
知らない俳優さん、知らない物語、知らないシアター、まだ何もわからないから、今度はちゃんと予習していこう。
 
 
自分で舞台を見に行きたいと思うなんて、夢に思わなかった。でもいまは、それを心待ちにしている。
アイドルをきっかけにするということ、それにはいつも後ろめたさが潜んでいて、
どこか俯き加減で身を潜めて楽しまないといけない、できればそれは避けたほうがいいとまで思っていた。
 
 
でもそれってすごくもったいない。
アイドルから始まったものが、アイドルの世界をこえた面白い・知りたいに繋がっていく。
自分が知るつもりのなかったこと、触れることなんてないと思っていた世界が、予想だにしないタイミングでぐっと身近になる。
 
これってかなり、面白い。セレンディピティというやつじゃん。
アイドルをきっかけに、世界を広げるということ、これはアイドルのオタクをやっている者の特権なのかもしれない。
ふとした拍子に、予想だにしないタイミングで、次は何に出会うんだろう!!!とまたワクワクしてしまうオタク生活が、今日も楽しい。
 
 
=====================
これ以降は、小瀧さんすごいな〜尊敬だな〜〜〜という話。
 
=より上の文章は、読売演劇大賞杉村春子賞(新人賞)を、小瀧くんが受賞すると知る前に書いていました。
(小瀧さん、おめでとうございます!!!!)
 
その賞のことすら知らなかったレベルの演劇無知人間なので、その賞がいかにすごいかを理解できていないかもですが、
その受賞の話を聞いて思ったことも、つらつらと。
 
 
小瀧くんは、同じ学年にあたることもあり、
勝手に世代観(社会人2年目的な、24歳特有な、的な悩みや望み)を、
共有していると僭越すぎながら思っています。(大変僭越すぎ)
 
いろんな人の期待やら、プレッシャーやら、自分のこれからやらを、
勝手に背負わされたり、背負ったりしている中で、ちゃんと結果を出す。
(俳優として、20代のうちに結果を出す…というやつ)
 
これまでの経験が全部意味あったのかな?と疑いたくなるような、
自信もプライドもぶっ壊れる経験から、ビビらずに向き合う。
(公演期間がはじまってからも、ダメ出しを受ける…というやつ)
 
この2点を、尊敬せずにはいられませんでした。
「ある程度は新人じゃないからできるよね?」vs「まだまだ若いからこれは無理よね」の境目の年齢。
 
結果を求められつつも、うまくそれが出せなくて悔しいとか。
結局なにも得られなくて、迷惑だけかけて苦しいとか。
心が折れて、やってみたかったことを思い出さないように目を背けてる情けなさとか。
 
24歳のそんな感じを、勝手に重ねて(大変僭越すぎ)
逃げずにちゃんと戦っててすごいな、と思い悩みまくりの私は思わずにいられない。
 
 
エレファント・マン』をみた話から、こんなところまで来てしまった。
色々と思い悩みすぎなのかもしれない。こんなことまでアイドルをきっかけに考えんでええねんって思ったりしつつ、また今日もおもしろあたらしなんじゃこれに出会えるのを心待ちにしていたりします。
 
 
以上、またいつか!

オタクが片棒を担ぎ、アイドルを殺すかもしれない

【一言で言うと:先日、あるジャニーズの配信バラエティ番組のエピソードに対する意見ブログを読み、アップデートされないアイドルのジェンダー観は、オタクが餌をあげた化け物・片棒担いだ結果なんじゃないか?と言うところから考えをコネコネしてるブログです。】
 
ということなので、これは確実にイラっとするな〜スタンスが違うわ〜となる方は、読むのをやめていただくのが良いかなと思います。
 
※「女の子らしくてかわいい」「男の子なんだから」といった、性別による役割規定をつよめる発言にモヤったり、国民的と冠されたアイドルがC&Rで「女の子調子はどうだ?野郎ども調子はどうだ?」を最後までやったことにしょぼんとしたり、「そっち系」「オネエかよ」といった言葉で、多様なあり方を揶揄する発言に、は?と思うオタクの文章です。
 
 
3つにわけて、考えていきます。
① 私は、アイドルのゾンビ化に、片棒を担いでしまった自覚と反省があります
② アップデートされない、何が「ダサい」のか
③ オタクには、批評と意見を表明する自由がある
 
それでは。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先日発表された芥川賞受賞作品のタイトルは『推し、燃ゆ』。
周りのオタクたちがこぞって読み始めていて、その関心度の高さに驚く日々。
 
 
みなさん、自分の推し・担当が燃えた(炎上した)ことはありますか?
私は、かつての推しが燃えたことがあります。
 
 
詳しくはここに書かないものの、炎上と一緒に書かれていたワードは「女性蔑視」。
燃えるべくして、燃えたなと言う発言だった。
 
 
「そんな意図じゃないのはわかってるの」と擁護する気はミリも起きなかったけど、
でも「もういっそ、燃やしつくして」とも思えなかった。
 
 
なぜなら、炎上ひとつでアイドル・グループの未来は大きく変わるから。
どんなに力のある事務所にいても、いつまでもどこまでも守られるわけではないから。
 
炎上、特にアイドルにとっては、そのメインファン層の絡む炎上は致命傷だから。
できれば、そういったことが起きないでほしい…と思った。
 
ただ、あくまで考えのコアは、「燃えないでくれ」ではなく、「燃えるようなダサい言動しないでくれよ」にあります。
 
 
すみません、話が逸れまくった。
一応、3章に分けて書いていく気概はありますが、果たして。
 
 
① 私は、アイドルのゾンビ化に、片棒を担いでしまった自覚と反省があります
 
 
上に書いた炎上にいたるまでにも、
「女性蔑視・軽視」的な思考の片鱗ははどのメンバーにも見え隠れしていて、
 
いろいろな企画や発言の中で「不快だわ〜」「これは危ない」「いつか大きく問題化しそう」と感じることもあった。
 
ただ、今は問題だと感じる言動も、自分が中学生、高校生の時は、
正直なところ「なんか面白いな〜」の認識でした。
 
 
独特の「男子の内輪ノリ」的な面白さを楽しんでいたし、
「関西ノリ」ってこんな感じなのかな?と、
新しい世界を見るような、興味も持っていた気がする。
 
 
あのときの私は、確かに片棒を担いでいた。今はそう思う。
「面白い!」と誉めそやして、餌を与えて、
大好きなアイドルを、前時代的な考え方からアップデートできないゾンビにしてしまった。
 
 
言動に「シンプルに嫌だわ〜」と思うだけだった時期を越え、
気づけば「オタクとしての片棒担いじゃった感」を覚えるようになったのは、
自分の置かれる環境が変わって、「ほっとくと押し付けられる当たり前」が嫌になったからだと思う
 
 
私は、中学高校と女子校で、
性別による制限や、観念の押し付けを経験せずに、
圧倒的な男性比率の大学・会社に入って、
スーパーオワコンゾンビジェンダー観を、
身を以て感じた。
 
 
「女子なのに、そんな意見言うの珍しいね。気が強いね?」
「女子なんだから〜したほうがいいよ or しなくていいよ!」
「20代女子として、それっぽいこといってよ」
「花渡すのは、やっぱり女子がいいよ!」
「〜って男らしくないよね、どう思う?」
「女子は、結婚して仕事辞めちゃうって選択肢もあるもんね〜」
 
 
は?????????? こういう発言が、とってもショック。
あまりに苦手。とんでも苦手。
 
もう私のことは、女子とかじゃなくて人類として区分してくれ。
勝手に色々はめこんで、期待したりがっかりしたり、制限しないでくれ。
時代は変わったと聞いていたのに。あーあ。
 
と人のせいにしそうになる。
 
けど、もしかして、こういうジェンダー観って、自分がこれまで「まあそういうもんよね」とか、「ちょっと乱暴だけど面白いよね」と放置してきたものの、代償なんじゃないか?
 
あのとき笑って流してないで、「そういうの嫌ですよ〜」って、
明確に言わなかったがために、自分も年下の人も、同じ経験を繰り返し味わうなんて、まじで最悪。本当にごめんよ。と思うようになりました。
 
 
(え、話広くね???????遠くね??????と薄々思い始めてきましたが)
こんなのを再生産する火種は、私は擁護も、肯定もしたくない。
 
そして、相対的に女性のファンが多いアイドルにまつわるものなら、なおさら。というのが意見です。(結論に到達するまでが、もはや万里の長城なんですが?????)
 
中学生や高校生くらいの子が、炎上した推しを見て、
「誹謗中傷です!彼はそんな人じゃない!」と擁護してるの見ると、とても胸が痛む。
 
そのまま放置して、それが当たり前の世界が続いたら、
何年後のあなたが、それで苦しくなっちゃうかもしれない、と思ってしまうから。
(とはいえ、今その子が100%を捧げているものを、誰かに否定されるのは辛い、ってのもわかる)
 
 
② アップデートされない、何が「ダサい」のか
 
推しがスキャンダルで話題になることなんて霞むくらい、
更新されない思想丸出しの言動にショックを受けるオタクです。
 
嫌いになりたくない、嫌いになりたくないと、
どれだけ願っても、そんなの見ちゃうと、一気に心が冷える。
 
 
正直、日本で世界で、話題に上りまくってる論点を知らず、
井の中の蛙というかゾンビになっている。
 
アップデートもできなくて、周りの声に聞く耳を持たず、
視野が狭いことに気づけていない。
 
そのままお山の大将と化して、「おもろ〜」と誤解している。
 
いずれもが、シンプルに、死ぬほどダサい。
 
 
「知らなかっただけ」
「男性社会で生きてきたから仕方ない」とか。
 
この期に及んでそんな擁護は、
正直ありえないと思う。
 
どこの時代と世界を見つめてんねん。
周りに人間おらんのかい。
 
 
私は、マリウスくんのような先進的な考えを、
発信できるアイドルを増やすべしとまでは考えません。
(もちろん増えることは、すごい意義のあることだと思う)
 
日本で、アイドルがオピニオンリーダー的に振る舞うのは難しく、
ある種の政治色は、スポンサーを含めて周りに煙たがられるリスクがあるという状況だから(事務所的に方針を変えることはできないんじゃ?仮説)
 
 
だから、
啓蒙してほしいんじゃない、
ちゃんと理解してほしい
 
思想を改めてほしいんじゃない、
世相を捉えて振舞ってほしい
 
 
本当にこれに尽きる。
 
実際どう思うかは、どこまでも本人の自由。
でも、それを口に出す、行動に移すとき
=表に出すときに、その発言が「表に出すのにふさわしいか」「伝わる相手がどう思うか?」の逡巡は、あるべきだと思う。
 
 
影響力のあるタレントだから、ではない。
 
多くの息苦しいとか、辛いが表面化して、
お互いに理解する・気を遣うことが、
これまでより格段に簡単な時代になったんだから、
 
そこで生きている人たちには、だれであれ、
その責任を等しく負ってくべきなんじゃないすか????ってことです。
 
 
 
③ オタクには、批評と意見を表明する自由がある
 
「誹謗中傷」と言う言葉は、
2020年のある一件以来、人口に膾炙されすぎてしまった。
 
言葉はどんどん市民権を得て、
「傷ついたんですけど」と感じる人がいる言葉は、全て誹謗中傷に分類される。
 
 
真っ当な批評も、建設的な意見も、
「誹謗中傷」を免罪符に、耳を傾けなくてよくなってしまった。
 
 
それは、例えば、オタクが「それは誹謗中傷です!」と、
推しをかばう時にもみられる。(発言の意図が「謗る(非難)」にあるか「議論」の違いくらい、わかるっしょ?と踊り出しそうになる)
 
 
この文章を書くきっかけとなったブログには、
「推しの評判を下げないでください」
「番組に直接言えばいいじゃないですか」
「他グループを巻き込まないでください」と言う意見が寄せられたという。
 
 
やっぱり、「オタクは自担の発言・行動を肯定してなんぼ」という不文律は、
オタクの心の中に、えぐいくらい巣食っているんだな、と気づきました。
 
 
自担をヤベーお山の大将にしちゃっていいんすか?と疑問を抱きつつ、肌感覚として「物言うオタクはクレーマー」とか「疑問を呈するオタクはエクストリーマー」的な風潮はわかる。
 
 
こういうオタクだと思われたらオタクの友達減りそう…めんどくさって思われて、距離を置かれちゃうかも、めちゃくちゃ怖〜〜〜〜ってなるから、私もなんか言いづらい。
 
 
自分と感覚があわないって、
もうターゲットじゃないんだよ論もあるし。
 
 
ネットに書かれたものは尾ひれがついて、
どんどん広がるから自分の推しグループを取り上げられる不安もわかる。
 
 
とか思ってたけど、倫理的にちがくねって思うことは、別に意見してもよくない??
 
てか意見を言う自由はわたしにあるじゃん????????(手のひら返し)
 
 
あなたの意見を否定することも、
私の意見を聞けと強要することもないけど、
 
私には、意見を言う自由があったんでしたわ!!!!!
 
 
忘れてました。
オタクだけど、そのまえに人間でした。
 
全肯定するだけが、
全てじゃなかったんでした!!!!
 
 
ということで、まず「そんなの番組に直接言えばいいじゃん」は、本当にそうなのか?考えます。
 
 
結論、ぶっちゃけ番組に直接いっても、改善される気がしない。
(もちろん反映していく番組も存在することは理解している)
 
 
だって、はちゃめちゃに炎上したアイドル原案のドラマも、
ぼやっと炎上したラジオ内での発言や企画も、
何事もなかったように、スルーされてそのまま続けられていく。
 
おいおーいまじかよ。
 
 
あるラジオに、メンバーの偏りジェンダー観丸見えの苦手なコーナーがあり、
以前一度、ファンはどんな意見を持っているのだろう?と調べてみたことがある。
 
 
すると、メールや手紙で意見してきたファンは、想定以上に多くいた。
それでも形をほぼ変えず、なんならパワーアップして帰ってきている。
 
「あ〜、こういう声って届かないんだな〜」と、わかってはいたものの、ショックだった。(このコーナーや、うっかり生放送で編集されないままお届けされるビックリ発言が苦手で、このラジオを私は聴けない)
 
 
もちろん反対意見が上がったコーナーを全て取りやめるべき、とはまったく思わない。
 
それを求めるのは、全てを誹謗中傷と片付ける
「傷ついちゃった戦法」と変わらないから。
 
 
ただ、「このコーナーおもしろいですね!」と
「性別役割を決めつけるような言葉、聞いててちょっと嫌です」は、
 
一度天秤にかけてもいいんじゃないだろうか?
どちらの意見にも耳を傾けたら、軌道修正されるんじゃないか?
 
(正直このラジオには、変革を期待できないと思ってる)
(多分、そこまで深刻に捉えてないんだろうな)
 
 
とまあ、多分、「うるせえオタクがなんかいってんな〜」で、終わっている番組は、多くあると見立ててます。
 
 
だったら、個人↔︎番組といったクローズドな場から出て、議論が紛糾しちゃって、オタクが荒れちゃったとしても、「どうなんすか?」と文章を公開して、世間に対して提起するのは、
至極真っ当な行動だと思う。
 
 
オタクには、批評と意見を表明する自由があるとは、こういうことを意図してます。
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまでだらだらまたうるせえオタクがやってますけども。
 
 
これを書いているのは、現在の推したちに、
正直なところ、けっこう不安を覚えているからでもあります。
 
 
「国民の友達」を標榜して、そのパーセプションをとりにいくのに、
大丈夫?と思ってしまう言葉や、行動が多い。
 
 
賞賛の文化があって、ピースフルで、
前向きで、ベースはとても素敵だけど、
 
ふとした時の「ブスいじり」「オネエかよいじり」
「女性or男性といえば…発言」に、まじかよ…と心が冷える。
 
 
たとえば「男の子なんだから〜」とか普通に発言している番組が、
「否定し合わない文化」を切り取られて、
諸手を挙げて賞賛されちゃってんのとか、怖い。
 
 
そして、いまが変われるか・変われないままかの「最後の境目」にいると思う。
もう少しステータスが上がれば、
彼らはトップアイドルたちの仲間入りって言われるだろうな。
 
そして、それだけの人気が出てきてしまえば、もう自浄作用は期待できない。
 
というのも、
・ファンがどんどんイエスマンになるから
(否定的なことを言うファンは、他が袋叩きにして殺す)
 
・周りから、耳の痛い意見をちゃんといって気づかせてくれる人が減るから
(スタッフから下手に出られる機会の増加)
 
・自信がつけば、聞く耳を持ちにくくなるから(仮説)
 
 
だから今、どうか、どうか気づいてほしい。
そして、誰からも愛されるアイドルになってほしい。
(エクストリームエゴ)
 
 
「かわりました!」とか「あれ間違ってました!」とか、
言う必要とかまじでないから、しれっとアップデートされていて欲しい。
 
 
こんなこと杞憂であってくれって思うけど、
どうか、ホメそやすオタクによって、その良さを殺されないでって、本当に思う。
 
 
他の人はどう思ってるんだろう〜と考えながら。
ある程度目をつぶって、うまくつきあっていってるのかなとか思いながら、
明日からの労働に備えようと思います。

”積む”への「わかる!」と「もやもや」を考える

※この記事は、「積む」ことを否定するものではありませんが、これらに疑問を持つ人間が書いています。
 
ですので、これにネガティブな感情を持ちそうだなと思う方は、避けていただけますと幸いです!また、布教用としての購入は、今回のモヤっとには当てはまらないというスタンスです。
 
タイトルの件、これはアイドルを推してきた人生のうち、自分のバイト代でモノが買えるようになった大学生以降、どこかでずっと引っかかってきたものでした。
 
そして、これを書いて自分の中で整理しようと思っています。
書いている動機なんて本当に、個人的でちょっとしたこと。
 
自分の中で決着をつけよう…というほどの意思ではありませんが、
ある程度のスタンスを決めておく方が、この先、ずっと好きでいる上でモヤモヤしなくて済みそうだから、というだけのことです。
 
自分の日記だけにとどめておくべき、とも思いましたが、同じモヤモヤした気持ちの人が、同じ思考をたどるなら、その時に使ってもらえたら楽かも!という気持ちで公開しています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
思い返してみると中高生の時は、お金も情報も限られていたから、そもそも買い支えるなんていう概念を持っていませんでしたし、いまのYouTubeのような、合法である程度までならタダで楽しめる…という環境でもなかったので、「聞きたいなら買う」ことに疑念を持っていませんでした。
 
そして(推測ではありますが)、今から10年ほど前は、CDの枚数は指標の一つではあったにしても、いまほどコンサートの会場やプロモーションの手厚さ、事務所からのプッシュ力を左右するものではなかったはずです。
 
だから、”買い支えなきゃ””積まなきゃ”は、考え方としてそこまでファンに共有されるものではなかった。
 
※これはまた、じっくり勉強して考えたいのですが、ジャニーズアイドル間の扱いが、これほどCDの枚数に左右されている!と信じたくなるほどに、CDの枚数で変わっている(ように見える)のは、ジャニーズが、主にインターネット上のコンテンツづくり、そこからのマネタイズにそこまで成功していない=CD依存の収益構造から脱せていないから、ではないかな…と思っています。
 
話が遠回りになりました。「積む」が一般化するなかでのモヤモヤを考えていきます。
 
 
何にモヤモヤしているのか?
 
ここではモヤモヤした気持ちは、気持ち先行のモヤモヤと、ビジネス的なモヤモヤがミックスしています。
 
それでは、お願いします(?)
(書き出してみたらめっちゃモヤモヤしてるじゃん…と気づきました)
 
 
推しへの愛情の大きさに、勝敗なんてある?
「店頭に3枚あったので、3枚全部買っちゃった!追い〇〇してきました!」というのは、発売週によくみますね。CDショップで2年半ほどバイトをしていたのですが、こういった光景は、ジャニーズを問わずアイドルにはよくあること。

「熱心なファンの方だな…」と思っていましたが、Twitterで買った同じシングルを積んでいる写真を見て、まるで張り合うかのような様子は、まるで「私の方が愛情が大きい」「推しに貢献している」マウンティングしあっているみたい。
 
愛情って、そんな勝たなきゃいけないもの?数値化して計らなきゃダメなのかな?という疑問が湧きます。そして何と戦っているんだろう。

もし積んだ枚数で愛情が計られているとして、そこにどんなリターンを期待しているのだろう…と思ってしまいます。


そして「こんなに買ったんだから」「こんなに好きなんだから」と
アイドルを縛る「権利」があるはずだ…という歪んだ気持ち(エゴ)が生まれているように感じます。
 
お金を払えば何をいってもいいってわけじゃないよね…
これが第一のモヤっと。
(「税金を納めているんだから」と市役所の窓口で怒っている人みたい)

そんな権利、どこにもなくないですか?アイドルは夢を見せてくれる幻想ですが、売り手からすれば、商品でもあります。
 
「自分の思う方向性と違ってきた」「私が望むアイドル像で無くなってきた」と思う時、それはアイドルが裏切ってきたのでなく、自分がターゲットじゃなくなった…それだけの話なはずです。
(もっと意地悪にいうなら、お金儲けする上で不要になった人たちって感じ?)
 
 
罪悪感を煽るムラ社会的な文化、こわい
書いているうちに、なんて自分が意地悪な人間か…と気づきはじめてきました。あゝ。
 
大学生になり、バイトをすれば、お金は相当自由に使えるようになります。

そのとき「買えるだけのお金はあるよね、で、あなたは各形態1枚ずつでおわらせていいの?」という話が出てきました。
そして、「買わないなんて罪深い…」という同調圧力。これは本当に恐怖です。
 
私が人生で初めてハマったアイドル・関ジャニ∞も、最初の大ブレーク(たぶん09年)前は、買い支えが必要なタイミングがあったはずですが、
その時は、中高生でその概念がなかった。そして、お金を手にした大学生ごろ(15年あたり)は、そんな買い支えがなくても十分に売れるだけの裾野の広さをもっていたので、こういう文化にがっつり触れることがなかった。
 
しかし、そんな彼らに続けざまにおこった、メンバーの脱退をはじめとする大きな変化。どこか「陰り」「凋落」といったワードがちらついていた時期もあった気がします。
 
このあと、「もう一度ドームに立ってほしい」という思いをもつファンから、自然と生まれた購買運動。正直、怖かった。

エイトも、eighterも、居心地がよくてどこかのほほんとして、そこが好きだった私にとって、”変質したムラ社会”のようなコミュニティはしんどかった。
 
裾野が広くなったからこそ、元からいたファンは、「古参アイデンティティ」を守ろうとしていたのかな、とか、あたらしくeighterになった人も「ムラ」に入る没入感を味わいたかったのかな…、と穿った見方をしてしまいました。
 
(ドのつくマスタレントであるジャニーズのファンが、何を競い合ってるんだろう?とまで思った。ここまでくると性格が悪い)
 
こういったムラ化・私的な警察のような行動は、ファン同士の一体感を生みますが、ムラに入り込めない・入りたくないオタクにとっては、罪悪感の源泉になります。結果的に、私には、ファンを続けるしんどさでしかなかった。
 
 
アイドルの喜ぶ数字って、そこじゃないんじゃない?
これは、1に近い部分があります。
 
「東京ドームに立つ夢を叶えるサポートをしたい」「紅白に出る夢を応援したい」というのはすごく共感します。だって本人たちが、雑誌でライブで会報でそう語っているから。大好きな人たちの夢は、どうか叶ってほしい。

 
たしかに、枚数がドーム公演をできるか否かに大きく影響する…とは言われていますが、それでも、「そのためにCDを積もう」は、本当にアイドルのためなのか?とモヤモヤします。
 
なぜなら、アイドル本人たちの望みは、単にドームや紅白の場に立ちたい・そこでライブをしたい…にとどまらないのでは?と思うから。

もっというなら、真意は、「ドームに立てるほどのたくさんのファンを抱えたい、紅白にでれるほど幅広い世代から愛されたい…」の方が近いのでは?と思うからです。
 
熱狂的なファン1万人が1人30枚買って到達した30万枚の実績で、5万人のドーム公演が叶っても、
そこに熱狂的な1万人と、誘われたからとりあえずきてみた4万人で埋まったとしたら、本当に彼らの夢なのかな…と疑問です。
 
それだったら30枚買うほど熱狂的ではないけれど、1枚は絶対買う!結構好き!というファンが5万キャパを埋め尽くす…こちらの方が理想なんじゃないかな…と。
(実際、超熱狂的なファンで15万くらい余裕でうまるのだろうなとは思いつつ。)
 
※ありとあらゆるファン運動(billboard集計対策のハッシュタグとか、ファン以外の人に教えてあげるぜ突撃ツイート)が苦手なのですが、その理由は、一部のファンが熱狂的になればなるほど、その特異な様子が、ファンになるポテンシャルある人を怖がらせて遠ざけてしまうから、それが広く多くの人に愛されたいというアイドルの夢と逆行するように思うから・・・・な気がしてきました。(口に出したらわかる、文字に書いたらわかるの実践じゃん。)
 
 
※ドームができればいいんです!という意見もきっとあると思います。
わかる、ドームは機構も特効もレベルが変わるもん。でっかい火柱とか水のアーチとかみたい。心踊りまくりますもんね。
(これも関係ねえよ!となったら、だいぶ「ドームに立っているアイドルのオタクである」エクスタシーの域って感じで面白い。)
 
 
 
CDって、音と映像を楽しむものではないの?ドームへの切符でしかないのか?
 
いちばん本質的な気がするモヤモヤがこちら。
CDやDVDって、「中身を楽しむもの」だから、「ドームを初め大きな会場や大規模なプロモーション、推され等への切符」として(布教用でもないのに)何枚も積むのは、その中身への冒涜なんじゃないか?というものです。
 
ちゃんと聞いている!見ている!という話はもちろんあると思いつつ、何度見たところで聞いたところで、一枚のCDで事足りてしまったはず。

特に限定版については、積んだ分=もっと広く多くの人の手に届くはずだった機会の消失だと思ってしまう。
 
期間も枚数も限られた限定版は、初動売り上げを作るべく、相当力を入れていると感じます。
(膨大な特典映像や、YouTubeに上がっていて200万回近く再生されている曲とか、ファン投票1位になる名曲が、初回にしかないのはそういうことかなと。)
 
といったとき、より広く普く聞いてもらいたい、見てもらいたい…というアイドルの思いを、「積む」という行為は、踏みにじっているようで、モヤモヤしてしまいます。
 
※今できることは、CDの購買・視聴率や配信やラジオの再生率向上くらいしかないから、こういう事態に陥っているのはもちろんわかります。
その状態自体が、あんまり健全じゃないから、どうにかいい方向に変わったらいいな。
 
※握手会のチケットとして売られ始めたときから、CDやDVDが音源・映像としての役目から逸脱するようになっても、世間が違和感を持たなくなったというのもありそうです。
 
 
無理と背伸びは、ずっとは続けられないんじゃない?
 
まんまです、売り上げは伸びないことより、落ちることの方がリスクになるんじゃないか?という仮説のもとに書いています。

事務所の心象的に「売り上げが下がった」は、「大ブレイクには至らなかった」よりもネガなんじゃないか?ってことです。
 
ドームをできていたアイドルが、ドームから遠ざかる。こうしたちょっとしたマイナスの事実が、負のスパイラルを生むと考えています。

体感的にですが、世間は上り調子のアイドルには、優しいし興味を持ってくれますが、下り調子のアイドルには、ファンが思っている以上に淡白で冷淡です。
 
一度盛りを過ぎたと思われたアイドルに、もう一度脚光が当たることは、そうそうない。

だったら、無理して一気に脚光をあびるのではなく、地道に盤石に積み上げて、高い山になってから光に当たる方が、ずっと輝けるんじゃないでしょうか。
 
ファンの裾野が広がりきる前に、ファン側が途中でくたびれてしまったら…アイドルの夢もオタクの夢も、たぶん叶いにくくなる。
そんなの、あんまりに寂しい。悲しい。そう思います。 
 
 
<ちょっと話は変わりますが>
「積み買い」に、ややネガティブな気持ちを持っているのと逆行しているようですが、CDを買う…に関してのほかのモヤっとも成仏させてください。
 
CDショップでバイトをしていた時、「〜店は〇〇を全然置いてくれない!怒(質素な売り場の写真付き)」というツイートがファンで拡散されて、
これにどうしよう?となることがよくありました。(実際に対面でご意見をいただくこともある)
 
たしかに置いてある枚数も控えめで、展開も質素になってしまうケースはあります。
ただ、それは往々にして店舗の立地・以前の販売実績からの在庫リスクという、揺るぎない理由が潜んでいることが多い。
 
例えば、ここは学生さんが通らないけど、サラリーマンの乗換駅…となればジャニーズは薄め、30代にうけるロックは手厚く…といった具合です。売れるためには、お店を残すためには、こういった方針になるのは、そりゃあそうだ〜!となりますよね。
 
それに、音源のデータと違って、CDは「在庫になってしまう」というリスクが常につきまといます。
 
盛り上げてほしい!というファンの方の思いに応えたい…と思いつつも、入荷させたら売らない限り、場所を取り続ける。
 
それは、他の売れる商品を仕入れる・陳列する場所がなくなる=本当は生み出せた売り上げが立たなくなる…という恐怖でもあります。
 
だから、どれだけの枚数を入れるかには、すごく慎重な判断が伴ってい(るようにバイトの私には見えてい)ました。
 
「今回は〜店が盛り上げているみたい!」「追い〇〇するなら〜店」だけで終わらせるのは、実は店舗にとってけっこう悩ましいことです、
 
仕入れてみて、展開をして、ネットでネガティブなことは言われなくなったはいいものの、売れなかった・在庫になった…となれば、そのアーティストは在庫(お荷物)扱いになりかねない。場合によっては、次から縮小せざるを得ない…という事態に陥ります。
 
だから、どうか「〜店は、盛り上げてくれない!」と書いたら、その店舗が売り場を変えたら、是非そこで予約するとか、お友達を連れてきて布教でもしてみてください。たぶんみんな幸せです。
 
 
あまりに長くなってきて、自分でも怖くなってきました。
(やっと気づいたんですか???怖)
 
自分の中では、かなり整理されました。
私は、枚数を増やすことだけを目的とした積み買いは、今後もしないです。
 
そして、書いてみて、次の2つの自己理解が副産物として出てきました。笑
 
①私の”商品”としてのジャニーズアイドル理解は、「広く普く売れる」ことを至上命題として課された存在であること
 …もちろん情緒の面を言えば、グループごとに異なりますよね。
  応援するため、ドキドキをプレゼントするため…とか色々いる。
 
②そしてアイドルの望みをどうにか汲み取りたい、叶えたいモンペ体質であること
 …うわぁ…。。。
 
 
書いているのは1月11日、あしたは15thシングル「週刊うまくいく曜日」のフラゲ日です。ただ、この記事は、その発売から一週間後に公開設定としています。あと、タグもつけない。
 
どこかで、誰もみてはいないと思いつつ、この中の言葉が、今がかなり大きな分岐点になるだろう、大好きな彼らの未来の向かい風になるかも?それは嫌だという意識があります。
  
とはいえ今作は、現時点で解禁されている映像と、音源を見聞きするだけでも最高なので、積まなくても、心配しなくても、たくさんの人が手にとって、すっごい幸せな気持ちになるんだろうな〜〜〜〜っておもいますけれど!!
 
とりあえず、週刊うまくいく曜日のリリース、
たのしみです(発売前の私が書いています)
 

ありがとう沼落ち、いい薬です。

突如2020年に、ジャニーズWESTにはまり、神山担になった人間による「ありがとう沼落ち、いい薬です。」という沼落ち記録
 
沼落ちブログを読むのが大好き。
その人がどこに一番グッときて、何が人を変えるのかが垣間見えるから。
 
一生新規ハイでいたい。自分でも書いてみよう。そんな難しい話じゃないし。
 
今すり傷くらいのことならあんまり気にならないくらい、日々のちょっとした嫌なことを忘れるくらいの心境。マジでいい薬ですね。
 
自分が後で見返して楽しくなれる、この世に三人くらいいるだろう沼落ちブログ大好き芸人さんのつまみになるように書くだけの話です。
 
お邪魔します、の気持ちとともに、
ジャニーズWESTの沼落ちブログをはじめて行きましょう。
 
 
そもそもアイドル好きの始まりは、嵐の二宮くん。10周年の頃に中学生になり、そのあと君と僕の見ている風景@国立を見に言ったり、一般的なジャニオタの導入。お手本のようだ。
 
ただ、本当にオタク化したのは関ジャニ∞。2009年の『ROMES 空港防御システム』というドラマで興味を持ち、8uppersに行ってから。
 
大倉くんにどハマりし、13歳からの11年間、時にめちゃめちゃ深く、時に浅く、心がくっついたり離れたりしながら過ごしてきました。
 
10代のやさぐれ&やわ&面倒な気持ちを支えてくれたのは、友達を増やしてくれたのは、思い出をたくさん作ってくれたのは、泣きながら勉強していた受験生時代を救ってくれたのは、間違いなくエイトでした。 
 
とはいえ、ここ3年は実質もうオタクというのは憚られるくらいで、シングルも映像もしっかり全部揃えてはいたものの、それが新しい音源や映像に触れたくて…という気持ちに基づくものだったと言い切る自信を持てません。あと、とことんライブが当たらなかった。生で彼らを見れていない。
 
 実質ただのお茶の間オタクになっていく最初のきっかけ、2018年の4月15日を振り返り。
 
就活が始まり、自分の夢が叶うかの不安や、周りから勝手に感じるプレッシャーに早速振り回されていたとき、たしか高校のオタク友達のLINEで知って、(ファンクラブのメールはその時気づいてない気がする)「無理」としか言えないままで、(たぶん)アッコにおまかせ!で会見を目にした。
 
あの時のことは、本当に部分的にしか思い出せない。
(あの時から、週刊誌って本当のことをすっぱぬくんだな…と妙な信頼を置くようになりました。)
 
テレビの前の足の短い机に膝を乗せて、じーっと会見をみてた。一人会見の場に出てこれないことも、その理由をしらないまま「おっちょこちょいだなぁ」くらいの気持ちでみていた。
 
あの噂は、本当だったのかと呆然としながら、ほんとうに、この人はいなくなってしまうんだ、もう元には戻らないんだなと見つめていたことだけ覚えています。
 
気持ちのセンターで、音楽のセンターで、バラエティでもセンターだった。私にとっては、世間的認知がどうであれ、彼は圧倒的な「支柱」だった。その人がいなくなる。彼はすべてのハブだった、彼がいたからエイトがあった。だから、もう終わりだと思った。
 
さらに、彼をつなぎとめるための、バンド体制や音楽の追求が、彼が外に出たくなる気持ちを、結局は大きくしてしまったと思って、絶望した。バンド体制に、正直そこまで賛同できていない、あまりいいファンではなかったからこそ、その絶望は大きかった。
 
彼をつなぎとめるためだと思って、その体制を受け入れてきたのに…踊る彼らを見れなくても…と腹をくくっていたのに…と思う部分もかなりあった。わがままです。
 
でも、会見で最後まで一貫して凛として語りきった彼を見て、ほんとうに終わりなんだと悟って、はじめて泣いた。
 
その後あらゆる番組で、「卒業」していくすばるくん。彼はいつでもほんとうにかっこよかった。愛されている姿をみれること、次の夢に走っていく姿をみれることは、ほんとうにありがたいことだった。(今でも彼の音源は買ってきいてる!)
 
彼がいなくなっても、六人の毎日はもちろん続く。GR8ESTは最高だった。不在が存在をより際立たせるという不思議な感覚を味わいつつ、彼らも集うオタクたちもどこか傷を負いながら、でも一緒に頑張っていくんだ…という気概にあふれていたライブ。あんな独特なライブ、そうそうない。(忘れらんねえよ 梅津くんの脱退ライブは似たものがありました)
 
ただ翌年2019年は、社会の波に飲まれライブに行けず。(ただの就職)
どこか不安な気持ちで応援。どこでもいつでも不穏な言葉が付いて回っていたから。
 
9月5日、タクシーの中で先輩がトレンドに上がっていた脱退のニュースを何気なく読み上げる。退所の言葉の周りには、本人の姿はなく5人の姿だけがあった。
 
もう、泣けなかった。
 
春頃から噂され、18年のこともありどこか「本当にやめちゃうかも」と思っていたからなのか、どこかでこれからは引っ張っていくと言ってくれたのに(発した時は嘘なんてなかったと思う)と勝手にショックを受けたからなのか、これから本来はセンターを好まないだろう自担が、センターに据えられてしまうのか…と怖くなったからなのか…もうわからないけれど、泣けなかった。
 
ただその分、ずっとはじけないままのポップコーンのように消化できないまま。
寂しかったんだと思う。大好きな人が大好きな場所を、「捨てたように見える」のが。
 
本当のことのうち、アイドル本人の口から言えることなんて限られているはずで、そこに推測や解釈を加えるのは絶対違うのに。
 
楽しかった時間が、全部嘘だったように変質していくのが耐えられなかった。
手から砂がこぼれていくような感覚、すり抜けていく綺麗で楽しかった時間。
 
ボロボロになってしまったからこそ、失うものは何もないと立ち上がる彼らは、私の大好きな彼らそのものでした。
 
でも、大好きだからこそ、彼らが傷つけられたり、憐れまれる姿を見たくなかった。
要は、心が折れてしまった。
 
それに、彼らはもう十分すぎるほど間口の広いアイドルになっていて、心の折れたオタクが付いている必要はないな…と思ってしまった。
 
大倉くんが十五祭の挨拶で言った「最低最弱のときも、ずっと愛し続けてください」に答えられなかった。あんなに好きで、そのことに自信があったのに。
 
大きくなりすぎた関ジャニ∞という船、それは、本当だったら自分たちの手だけで、舵を取る自由を持っていい船に、振り回されているように見えるのが、どうしても苦しかった。
 
 
もうテレビで見るだけでいい、深入りしないようにしよう。
アイドルは、元気をくれる。
でも、その元気をくれる力に頼るほど、何かあったとき立ち直れなくなる。
 
もう十分楽しんだ、友達との10代の楽しかった思い出として、綺麗なままで封をしておきたい。アイドルのオタクから、徐々に抜け出そうと決めていました。
 
 
私の好きなバンドの解散時のコメントに、オタクとしての気持ちと近いと感じるものがあります。1stアルバムからずっと聞いていたバンド、学生の私には時として「大人に食い荒らされてしまう」と思う瞬間があるバンドでした。
 
エイトにおける脱退に伴う環境変化が、「食い荒らす」ですね。
あとCHEMISTRYのPIECES OF DREAMは、どうしても思い出してしまう。この時のことを。
 
「振り返ってみると、Galileo Galileiというバンドは僕たちにとって、子供の時に大切に乗っていた“おもちゃの車”のようなものだったのかもしれません。
けれど“おもちゃの車”では、庭の芝生から先へとは進めなかったのです。僕たちはその先にある、どこまでも続く険しいコンクリートの道路を走ってみたくなってしまったのです。そして大人になった今、この愛する“おもちゃの車”から降りることを決心しました。」
 
おもちゃの車から降りる、
そして大人の道を歩く。
 
これは、関ジャニ∞から少し離れようと思った時の、私の気持ちに近いものです。
(オタクとバンドをなぞらえるでない!)
 
 
そんな中、実は並行して2017年あたりから後輩がめちゃめちゃ度々ジャニーズWESTを推してくれていました。
 
「絶対好きだと思います」とパラチャーや愛の奴隷を見せてくれたり(これを絶対好きと思われてるって何)(でも正解です、ありがとう)、今度こんなライブがありますよ!と教えてくれたり。
 
とはいえ、エイトに夢中&傷心中だった私は、なかなか手を出す気になれなかった。
(気持ちのどこかで、レコメンやヒルナンデスといったエイトらしい場所が取られてきた…という思いがあり、近寄り難かったという理由もありました。)
 
 
しかし、人生は本当に複雑怪奇、いろんな組み合わせではまり込んで行きました。
以下、時系列。
 
・6月
なぜか彼氏が「”サヨナラなんかじゃ終わらせないから”が好きだと思う!!」と
『証拠』の初回Aをくれる。(表題曲よりCWを押すという独特さ)
➡︎「たしかに!"You ain't mine"もいいね!」となる。(証拠は?)
 
・7月の頭
24時間テレビのパーソナリティ発表。
➡︎リモートワークだったこともあり、(そして心のどこかでエイト来ないかな…と思っていたこともあり)番組視聴。
➡︎そこで「ジャニーズwestの重岡くん」がメンバーからかけられたコメント「メンバーからよく食い込んだ重岡!と声をかけてもらいました」がクリティカルヒット
➡︎お?「ワードセンスがすばらしくおもろなお兄ちゃん」が好きな私としては、興味を持たないわけがない。メンバーについて調べ始める。
 
・8月 
仕事が猛烈に忙しくなり、24時間もテレビも雑誌も音源も全く追えず、一時休戦。
 
・9月頭 
仕事が落ち着き、後輩に連絡。「見るべき映像を教えて!」「最新が良いですよ」
➡︎当日に”WESTV!(DVD通常)”購入。
 そこから一週間で全てのシングル・アルバムをとりあえず全てレンタル。
➡︎またしても仕事に忙殺され、映像が見れない。心苦しい。
 
➡︎見れる日が来た!後輩とラインしながらお酒飲みながら視聴、
 「小瀧くんかしこおもろ!!」と仮の担当を小瀧くんに置く。
➡︎コントコーナーに入ったタイミングで、「これは絶対に好きなやつだ」
 「大好きな健やかオモロなアイドルだ」という確信をなぜか持ち、その場でFC加入。
 ありがとう、ネットバンキングとPay-easy
 社会人オタクの初速をあげているのは君たちさ。
 
paraviにも加入していたので(ブラッディマンデーのため)、パパジャニも見始める。
 
ただバラエティではなく、アイドルはライブから好きになる。
沼落ちは”ライブ映像とメイキング”、これは間違いない。
 
まず、ライブの構成がすごい好みだった(お笑いやかっこいい一辺倒にしない、バランスと強弱が意識的につくられているライブが好きです)というのはもちろんありつつ、重岡くんのオープニングの言葉(スーパー元気なやつが〜)や、メイキングで涙をこぼしている瞬間が、沼だったなと思います。信頼できる、みたいな勘。
 
でもしげちゃんは自担ではありません。(もちろん大好きですが)
 
なんか尊敬が先に来てしまう。どんなにちょけていても、嫌なことや苦手と思っていることから、ちゃんと逃げなかった人しか言えないこと・できないことができる(ようにみえる)から尊敬してしまうんですよね(話が壮大)
 
 
・9月中頃
繰り返し動画を見ているうちに、
Drift!のピースにっこり神山くんとYSSB三白眼神山くんの2点が線で結ばれる。
➡︎「は??????この人が自担だ…」とビビッときて神山担の自我が芽生える。
(小瀧さんは、ワードセンス尊敬&こんな同期がいたらいいのに!!!枠に。)
➡︎とりあえずもっと高画質で見たい、そして衣装をもっと静止画で見たい…と思い、
すべての映像をBRD初回盤で買おうと決める。
ライブの映像を全て買う。オタクの初速、極まれり。
※すでに買っていた24魂とWESTV!は買い直し、DVDは彼氏(淳太くん好き)にお礼を兼ねてあげました。
 
・9月後半
揃っていない音源に「アンジョーヤリーナ」という名曲があると知る(歌詞だけ読む)
映像をみるなかで「Can't Stop」「シルエット」が欲しくなる、ていうか知らない曲あるのとか無理だな…となる
➡︎ダブトラ含め、全ての音源をあの手この手で買う。揃え切る。人生で初めてメルカリを使った(おばあちゃん?)
➡︎全部が揃う。「アンジョーヤリーナ」「Go low low」「Gimme Gimme Gimme」に衝撃を受ける。
 
・10月
またしても仕事に人生の大半を持っていかれる。死ぬかもしれないと思い始める。
残業時間が100H/月を余裕でぶっちぎってしまい、目が見えにくくなる・動悸に悩まされる。笑「20代 過労 突然死」を検索し始める笑
 
たくさんの悔しいことが仕事で起きて、
たくさん泣く。思い返すだけで恐ろしい。
笑い事ではないが、もはや面白い。
 
なぜかそれまで普通に好き、程度だった「人生は素晴らしい」「間違っちゃいない」が突然鬼のように刺さる。
 
頑張ろう!という以上に「心のパズルはじけ散って 深夜の帰り疲れ切って 曲がり角間違えて 知らない道に出た」「光れない 馴染めない なぜ同じように生きれないの」というちょっと暗い・くたびれた部分が、”残業している心に効きました”。
 
こうやって、好きになっていく・はまり込んでいくのだと、実感する。
 
 
・11月
音楽番組に彼らが出るとなると、朝から心が踊るようになる。どんな衣装が見れるかとワクワクする。どんなブログが更新されたかな…と夜の楽しみができる。雑誌をまた買うようになる。オタクの友達を作るようになる。
 
オタクの世界に帰ってきてしまったなと実感する。
でも、これで良かったんじゃないかと思い始める。
 
・12月
配信ライブを全部見る。ギミギミの神山くんは、宇宙だった。ゴロロの淳太くんは、覇王だった。アンジョーのしげちゃんは、光だった。try me nowのりゅーせーくんは美の権化だった。週うまの照史くんは、太陽だった。special loveのはまちゃんは、シルクだった。ビグショののんちゃんは、勇者だった。(ボキャブラリー??)
 
今の私ががんばるために、元気になるために、
アイドルの力を借りてもいいじゃんと思えるようになった。
 
結局のところ、アイドルを推す世界に帰ってきてしまいました。
やっぱりか〜と面白い気分にもなるものの、
また悲しくなるんじゃ?」という不安な気持ちは、あまりないです。
 
だってもう、自分の生活、思想、仕事、
人間関係…ありとあらゆるものに、責任を持てるようになったから。
 
全部を委ねられるほど、もう子供じゃないから。
 
そして、アイドルに永遠なんてないことを、
悲しいけどもうちゃんと理解しているから。
 
また、アイドルと一緒に、
ジャニーズWESTと一緒に、
生活していけるような気がしています。
 
 
不安定な気持ちを支えてくれて、
ちゃんと大人になるまで見守ってくれていたのがエイトだったとすると、
 
毎日戦って、怪我ばかりしている大人になった私と、一緒に戦ってくれるのがWESTだと思う。
 
(エイトのことは、大倉くんのことは今でも大好きで出た音源と映像は全部買っちゃうけど、
オタクです!!!!!と胸を張れる自信はないって感じ。)
 
WESTの好きなところは、多分頑張っていることを、わりと是としてくれるところ。
 
無理しなくていい!やめときな!というよりは、頑張ってるの知ってるぜ!と、
声をかけて、また一緒に頑張ってこう!と言ってくれるところ。
 
ほとんどの時間を、仕事に使っていく私の生活は、まだまだ続いていきます。
 
こういう生活は、結構しんどいけれど、面白いと思うし、頑張っている自負もあるからやめたくない。まだまだ頑張りたいことがあって、叶えたいこともある。
 
だからいま、WESTを好きになったんだと思う。
 
全ては巡り合わせというか、運というか、タイミングなんだと気づきました。
頑張っていることを、いいねって言ってくれるWESTに出会えて、本当に良かった。
 
あと、おかえり自分!オタクの世界に!!!!
 
なんかダラッダラ書いたけど、
15thシングル「週刊うまくいく曜日」のリリースおめでとうございます!!!!
(今日はフラゲ日ですけどね!!!!)